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書簡 その219 ライブを終わって

やってみるもんですなぁ・・いろんなこと。いえね、歌の無いライブと称して、昭和20年代頃の話とその頃活躍した芸人の話を1時間20分程したんですがね。

まぁ良し悪しは来て頂いたお客様が決めることですが、僕自身はやってよかったです。若い人に興味を持ってもらったり(特に都々逸)、年配の方には懐かし

がって頂いたり。それもさることながら、初めての試みで新しい発見がたくさんあった事。面白いもんですねぇ。客席に向かって話をするから、お客さんと目が

合うし、頷いたりされるともうドキ!それに気が付かなかったのか僕だけなのか、声の出し方も芝居の時とは違って、声が掠れたり、息切れしそうになったり、

第一の発見は、長い間 一人でしゃべっているので何処まで話したのか、同じ事をまた喋っているのではないかと不安になったりする。

芝居だと相手の台詞、効果音や音楽などでキッカケがつかめるのだが、初なので、話のキッカケで音を決めてしまったから、比方が出すばかりで頼る処が

ない。だから話が前後したりして大変だった。裏ではさぞヒヤヒヤしたことだろう。

 なんとか回り道をしながらも継ったが、二回聞いた人は あれっ?と思ったかもしれない。よい勉強をした。

この次は今回を活かして、すっきりと作りたい・・・。あれ・・もう次をやる気でいる自分が怖い・・・。みなさんご協力を。


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