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ぼくの「おすすめスポット」です。みなさんのお近くの、名所や名物も、よかったら教えてくださいね。
市町村合併その他により、リンク先が、ごらんになれない箇所がございます。随時、確認して修正いたしますので、ご了承ください。
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その20 東京・・・坂の街

地方での思い出話ばかりをして来て、地元東京の事をすっかり忘れていた。
どうも東京の話をすると街が変わってしまって、楽しい話があまり無い、と言うか、
町名地名が変わっていくのを嘆かわしく思う事が多かったからだ。
東京は江戸の昔より、街の数、橋の数が多くて有名だったが、町の名称は変わる、橋は無くなっていくで
 (川は埋められて道路になった)
文化がまるで変わってしまい、なんとも気に入らなかったのだが、
先日六本木を歩いていて変わらないものを見つけた。
坂だ、六本木の交差点から十番に向かう芋洗い坂を下りながら、道が広くなって昔の面影は無いが、
(僕の子供の頃はしもた屋が並んでいたが今はビルが並んでいる) 坂の名前はそのまま残っている。
東京の街は昔から山の手と下町に分かれていて高台と平地から成り立っているので、いたる所坂だらけ。
その坂一つ一つに名前が付いていて、町名は変わっても坂の名はそのまま残っている。
歴史上名を残した坂も沢山ある、南部坂、昌平坂、霊南坂、富士見坂なんてぇのは幾つもある。
幽霊坂も多い、面白いのは、むじな坂、きつね坂、神楽坂なんかわそのまま町の名になっているし、
僕の育った赤坂も坂が多い、乃木将軍の乃木坂など人の名をとった坂も多い、
目黒には権之助坂や半兵衛坂なんてぇのもある。
区によっては坂に道標を立て、そのいわれなどが記されているので、東京の坂巡りも楽しいかも知れない。
僕の好きな坂の名は、ひぐらし坂、魚藍(ぎょらん)坂、念仏坂、しったり坂につるし坂、だらだら坂やさいかち坂、
(僕の子供の頃はクワガタのことを さいかちと呼んでいた)
僕も涼しくなったら、本郷辺りの坂巡りをしてみたくなった。

 

20 東京
その19  恐山

僕は旅が好きだ。旅行ではない。旅が好きだ。どう違うか?と聞かれると困るが、僕の中では旅行とは
目的を持って計画をして出かけるもの。旅とはぶらりと行くものだと思っている。だから旅には旅行とは異なる
のんびり感がある。手付かずの自然や鄙びた温泉も良いが、人の暮らしが感じられる古い町には、意外な事や
新しい発見があり、その土地の人の温もりが感じられたりする。そしてその土地でなければ食べることができない
物にであったりした時は感動ものだ。しかし不思議なことには、持って帰って食べると「あれっ」と思うことが多い。
その土地の風土というか空気と共に食べないと味わえない何かがあるようだ。雰囲気というのとは違う何かなのだ。
むろん計画して出かけた旅行の中でも意外な物に出会うこともある。
その一つが青森県の「恐山」だ。青森放送で「森に耳あり章二に目あり」の放送が始まったころ、五月の中旬だったか
青森県の中で下北半島だけは知らなかったので、一周することにして、野辺地から、むつ市、脇野沢と海岸線を仏ヶ浦
大間崎、下風呂を通って薬研温泉で一泊。翌日、恐山に行って尻屋崎を周って青森へと車で走った。
何処も素敵だったが、印象深かったのは仏ヶ浦、まったく予想外だったのが恐山。
日本三大霊場の一つといわれた賽の河原に三途の川、「口寄せ」というイタコにより死者との会話などから、
おどろおどろした処だと思っていたが、延命地蔵菩薩が鎮座まします恐山菩提寺に着くと、広々した大地の正面左側に
大きな六地蔵が並び、正面から中に入ると立派な山門。暗さなど微塵もない。晴天の空は青く深く明るく広がった境内は
箱根の大涌谷や雲仙の風景を思い浮かべれば良い。
そしてチョロチョロ流れている水は温泉で荒涼とした大地ではあるが地獄というよりは真に極楽浄土という感があった。
これが天候が悪かったり季節によってはまた違った印象を持ったかもしれないが、外輪山に囲まれた湖を抱ええる
大自然は天国に近い聖地だった。
一見は百聞に・・・。もう一度、旅をしたいところだ。

恐山を紹介したホームページです。・・・下北ナビ むつ市観光案内 むつ市観光協会

 

19 恐山
その18  山形県の置賜桜回廊

 今年の桜は何処へ、と考えていて、昨年回った山形の置賜さくら回廊を紹介したくなった。
 山形県の南、白鷹町から長井市を経て南陽市までの43kmの間に、十数本の桜の名木・古木が繋がり、
 桜の名所も点在する桜街道だ。
 以前から見たかった伊佐沢の久保桜(国指定天然記念物)、草岡の大明神桜(樹齢1200年)、釜の越桜(樹齢800年)
 薬師桜(樹齢1200年)を一日で回れるという ので飛び出した。
 東北自動車道福島インターで降りて南陽市に入る。案内板を頼りに、
 まずは慶海桜から三森山に黄桜、伊佐沢の久保桜、殿入の桜、原のしだれ桜、
 草岡の大明神桜、白兎のしだれ桜、釜の越桜、薬師桜、御衣黄、十二の桜、小守堂の桜
 赤坂の桜、八乙女の種まき桜、と順次道なりに網羅。
 いやぁ~何れ劣らぬ名木ばかり。目的の四本の桜も期待通りで満足満足!
 久保桜は流石、国指定の天然記念物。日本の五大桜に上げる人もいる貫禄十分な老木。
 来てよかった。混雑も避けて5月の連休明けに回ったが花時にギリギリセーフ。
 心に残るすばらしい桜回廊だった。中でも薬師桜の近くにある御衣黄は緑色の花が咲く園芸品種だが、
 今まで各地で見てきたものより緑の色が濃く、肉厚の花が見事というばかり。
 この花を観ている時、人の良さそうな桜守の方に声を掛けられ、お茶を勧められたが、
 急ぎ旅だと辞退したが、残念。ゆっくりお話を聞きたかった。
 僕はそんな駆け足の旅だったが、近くの温泉で一泊のつもりなら、遠方からでも十分楽しめます。
 東京から車で早朝(僕は5時)に出発しての日帰りドライブも可能(ちょっと疲れるかな)
 ただ、事前に花時の確認はお忘れなく。

置賜さくら回廊観光推進会議・・・詳しい情報満載です。

 

18 山形
その17  高知・思い出のタクワン

 宮尾登美子さんのヤマモモの話から、津々浦々に高知を書きたいと思った。
 ところがいざ書くとなると何度も行った事のあるところなのに、高知城の日曜市と、
 曜日によって場所の変わる朝市と夜の街以外、ほとんど知らない。
 観光地に至っては桂浜だけで他はまったく知らない事に気がついた。
 素通りしただけでゆっくり歩いた思いがない。行ってみたいところは色々ある。
 足摺岬と四万十のトンボ王国にはぜひ行きたいと思っている。
 そんなことで高知での思い出話だが、おいしい食べ物の話になる。
 皿鉢料理、カツオのタタキにサバの姿ずしが有名だが、鳥料理もうまかった。
 驚いたのは初夏に訪れた時、青梅を生で食べることだ。
 どこのお店でもドンブリに青梅が盛ってあり粗塩をつけて生でバリバリとかじる。
 僕達は子どもの頃から、青梅は青酸があるので絶対に食べてはいけないと教えられて
 いたので、これにはびっくり。食べても大丈夫かと聞くと、高知では当たり前。なんともない
 という。こわごわ食べてみると、初夏の味がして
 季節を感じたが高知以外では食べないことにしている。
 特筆は朝市で売っているタクワンの古漬け。
 全国の朝市は浅漬けが主流になっている昨今昔ながらのタクワンの古漬け(三年もの)
 を売っているのは、僕の知っている限りでは、岐阜の「おちょぼ稲荷」の参道で売っている
 ものと、高知の朝市のみ。僕はこのタクワンの古漬けが大好物。
 ちょっと臭いが強いので気が引けるが、東京まで持って帰るほどだ。何度か行く
 うちに顔なじみになったクッサンのおばあちゃん、元気にしているかなぁ・・・。
 タクワンの古漬けとともに、ガンバッテほしいと思う。
 地元の方、高知独特のおいしい食べ物情報がありましたら、ぜひお知らせ下さい。

 

17 高知
その16  大仏の街・高岡

 最初に訪れたのは何時のことだったのだろう。初回も二度目も公演でだった。
 高岡の街については、日本三大仏(奈良・鎌倉)の一つの高岡の大仏がある町、という位で何も知らなかった。
 公演の会場は古城公園の所だったと思う。
 大仏のある大仏寺に近かったので昼夜の間(芝居の昼の部と夜の部の間)に観に行った。
 思ったより小さいのでへぇ~・・・。
 朝、高岡入りして昼の部と夜の部の二回公演。終わればそのまま次の公演地へ。
 これが出会い。帰ってから明治・大正の古い街道や鋳物の発祥地で石畳の美しい金屋町、国宝高岡山端龍寺など
 見どころ いっぱいの街であることを知る。シマッタ。
 次に訪れた時も公演で時間がなく地元の人に色々話を聞いて心を残しながら次の地へ。
 やっと三度目に旅行の途中ながら一日掛けて古い町並みの山町筋、鋳物の街金屋町。
 そして国宝山端龍寺と回った。 もちろん大仏様も。
 いや~驚きました。
 観光地としてはあまり知られていない(僕だけかもしれないが)ステキな街があったなんて・・・。
 国宝の端龍寺は奈良や京都のお寺とは一味違った、鄙びた中に豪壮で優雅な趣は、訪れた人を引き付けて止まらない。
 此処から前田利長公の墓所まで続く石畳の美しい八丁道は沢山の石灯籠を見ながら
 のんびりした気分で歩けば日頃のストレスなどふっとぶこと受け合い。
 ステキな風景が忘れられず次に訪れた時にチンチン電車の走る大通りの隅に
 瀧の白糸の石碑があった様に思うのだが、他の街との勘違いだろうか。
 次回それを確かめる機会があることを楽しみにしている。

 

16 高岡
その15  歴史のある町並み・弘前

 初めて訪れたのは昭和37年か38年の事。
 新国劇の地方公演の途中、青森公演が終わって宿泊地の大鰐温泉に着いた時の事。
 師匠・辰巳柳太郎が突然「弘前城を見たい」と言い出した。
 夕食もそこそこにタクシーを呼んで弘前へ。ここから歩こうとタクシーを降りた。
 町の通りには子供を中心とした「ねぷた」を曳いた一団が通っていた。
 その頃のねぷた祭には見物客はほとんどなくねぷたも極く小さなもので素朴な鄙びた祭りだったのを覚えている。
 薄闇の中に灯る灯がぼやけた景色を浮かび上がらせ旅情を感じた。
 弘前城に着いた頃にはもう真っ暗。当然、城の中には入れません。
 観光用の(ポスター等)写真に出てくるあの赤い橋の前から公園へ。
 大の男(辰巳先生・緒形拳さん・僕・後輩の浅尾君)の四人が暗闇をぶらぶら歩く姿は、
 見る人がいたら不審に思ったに違いない。
 公園を出ると、どうせ帰るのだからと狙いを定めて待っていたタクシーに乗って大鰐の宿へ。
 弘前の出会いはこれだけ。
 その後、二度ほど訪れる機会に恵まれ、武家屋敷と寺を駆け足で巡ったが意外と知られていない
 明治・大正期に建てられた洋館群が印象に残っている。
 何かを食べたという記憶がまったくない。
 今度は老舗の味を捜しながらゆっくりと歩いてみたい街のひとつだ。

 

15 弘前
その14  長崎・さぁ、何から食べようか?

 中華街での食事を昼にするか夜にするかで悩む街。
 昼食に行く時は唐人町から出島辺りを中心に歩くか、めがね橋近辺の老舗を覗いて路地裏を歩く事になる。
 これは楽しい。思わぬ掘り出し物に出会ったりする。骨董屋というより古道具という感のあるお店には
 魅力ある雑貨(ガラクタ)が溢れている。
 玩具類も一味違うし、花火が一年中売られている。
 晩飯にと決めたときには、南山手の国宝大浦天主堂からグラバー園へ。
 東山手に回ってオランダ坂から唐人館へ。平和公園に足を延ばして浦上天主堂へ。
 和洋中混合の歴史の街は、何処を歩いても楽しい。
 歴史上の人物の遊んだ丸山町界隈も、のんびりと歩けば想いが膨らむ。
 時間が少ない時には駆け足で回れば・・・・それなりに時に流れを楽しめるし
 一日掛けて名店回りもお勧めできる。
 長崎は、四季を通じて好きな街だ。ああ!!行きたくなった。カステラは一味違う!

 

14 長崎
その13  会津若松・白虎隊ゆかりの地

 大阪・京都・名古屋・・・仕事で廻るこれらの都市以外で、最も多く訪れた土地だと思う。
 広大な盆地の中央に栄えた城下町=会津若松
 会津藩時代の気風をそのまま残し、日本国内の独立国といった趣きの街。
 住む人々は自らを会津人と言い、今も鶴ヶ城を中心に四季折々の催しが行われている愛すべき街。
 以前は行くのに時間が掛ったが、昨今は車なら高速道路でひとっとび。近くには温泉場も多く、
 磐梯山には五色沼に桧原湖、そして猪苗代に蔵の町・喜多方大内宿、せとものの街・会津本郷等々
 観光には事欠きません。しかし何十回となく訪れた馴染み深い処なのに、町中の様子はさっぱり。
 ただ町に着くとあの通りには うなぎ屋、角を曲がって左側が、そば屋、絵ろうそくの店はあそこ、
 味噌を買うのはあそこで、菓子屋はこっち・・・と迷わず行けてしまう不思議な街。何時いっても変わらない風景。
 ここ数年ご無沙汰だが今度行ったら変わったところを探してみよう。
 真っ先に白虎隊の飯盛山へ行ってから・・・。
 帰りは郡山から三春に寄るか、それとも118号線で日光へ出るか・・・
 どちらにしても寄り道にも事欠かない。 いっそ磐越自動車道で新潟回りにしようかな。

 

13 会津若松
その12  尾道での思い出

 全国津々浦々番外編を書いていて思い出した。昔、尾道の旅館の前の魚屋で、
 笊に山盛りのシャコが50円で売っていた。
 「安いね」といったら逆に「何にするの?」と聞かれた。
 「茹でて食べる」と言ったら、「何処から来た?」と聞かれ「東京から」と応えたら
 「この辺じゃ畑の肥やしにするんだよ」と言われてビックリした。
 本当かな。40年以上も前の話である。

 

12 尾道
その11  日本の故郷・出石

 出石。津々浦々番外編を書き始めて、ここは一言では書けないなぁと思った。
 40年位前、殆ど人の通らない町の古びた蕎麦屋で真白な出石焼きの皿で食べた蕎麦の美味かったこと!
 辰鼓楼(時計台)の大きさに驚き、武家屋敷を歩き、又蕎麦を食べた。
 川の水はきれいで素敵な町だ。
 今もあまり変わらない。(観光客が増え、そば屋の数も増えたようだが、
 町の様子はそのまま)虫篭窓のある格子造りの長屋が静かに・・・
 こんな素敵な町で暮らしているのが羨ましいとさえ思う。日本の故郷だ。又、息抜きに行きたい。

 

11 出石
その10  神代の郷 高千穂

 幽玄な渓谷と神楽舞、憧れの里も、近年の交通の便利さで観光客が泊まらず、
 通り過ぎてしまうと地元の人達が嘆いている。
 温泉街も夜の街も寂れる一方だという。
 数時間ではとても見切れない名所の数々も素通り。
 高千穂神社では夜毎行われる神楽舞も、お客さんが少なくなってきたそうだ。
 話を聞くだけでも残念でならない。
 他では見ることのできない旧跡がたくさんあるというのに・・・・・。
 数年前に訪れた折にも、新しく発見された神社の跡に案内されたが、まだまだ底知れぬものを感じる土地である。
 日本人の心の故郷(古里)、神話の里を、もっともっと知ってほしい。
 僕は何度でも行きたい。土地の人も温かい。

 

10 高千穂
その9  まるで日活のオープンセット・釧路

 『伊能大図の欠図4枚が発見され、国後島南部から屋久島まで全214枚が揃って
 北海道釧路市で開催される「伊能大図里帰りフロア展」に16日から追加展示される』
 という、新聞記事を見ているうちに20数年前の道東ロケを思い出した。
 仕事の都合で遅れて現地入りすることになり、チケット、地図、メモを渡され、後日、羽田から釧路空港へ。
 釧路駅に出て昼食をして列車に乗る。記憶を確かめるためにインターネットを開いたが、
 旧国鉄の路線は廃線になっておりわからない。
 記憶では、原野をのんびり走り、ミズバショウ、フクジュソウ、エゾエンゴサク、オオバナエン、レイソウ等の
 自生を見ながら中標津で乗り換えて標津駅に着いたのは夕方。薄暗くなっていた。(北海道は広い)
 制作の人が迎えに来ていて、車で行くより歩いたほうが面白いというので歩くことにする。
 旅館まで1km位だったと思うが、途中にバーや飲み屋がかたまっているのだが、
 まるで日活撮影所のオープンセット。昭和30年代のネオンギラギラで派手な作りだが入口は狭い。
 裏に回ると古材のバラック。「ウ・ワー!」日活だと楽しんで、旅館に着いて夕食。
 古い旅館だったが食事は凄い。サケずくし。その頃、東京では生のサケはまだ珍しいので堪能した。
 刺身、酢の物、フライ、バタ焼き、鍋物、オール・サケだが先発の連中は嬉しそうじゃない。
 聞いて見ると、初日に褒めたら、毎日これだという。僕も行ってから数日続いた。
 しかし、この旅では他に、トド、オットセイ、アザラシの肉を食べた。
 どれもクジラの肉に似ていて1回食べただけではどれがどれだかわからない。そんな思い出の町でした。
 ただ、あの日活のオープンセットの様な飲み屋街は10年経ったらもう一度訪ねたいと思ったのだが、
 20数年経っても果たしていない。今からでは遅いだろう。

 

09 釧路
その8  百聞は一見にしかず・宮崎・小林市

 宮崎県小林市は、日本で最も空気のキレイな処とか。
  しかし、知る人ぞ知る、奇岩の名勝地でもあります。「人にゃ言うなよ、語るなよ」と唄われる、この奇岩。
 百聞は一見にしかず

 

08 宮崎
その7  三重県を巡る

 三重県は鈴鹿の麓。東海道五十三次の一つ「関宿」がある。
 広沢虎造の浪曲「清水次郎長伝」に「坂は照る照る鈴鹿を越えりゃ関の名所は地蔵尊」と唄われた宿場である。
 菰野の五百羅漢を訪ねた時に足をのばしてみたのだが、
 鄙びた宿場のはずれに古びたお堂があり大きなお地蔵様が奉ってあった。
 三河から遠江に掛けての街道筋の宿場は往時の面影が残っているのにと思いながら帰った様な気がする。
 それが昨年仕事の流れで訪れたときには、驚いた。
 レトロブームか町おこしか、石畳は整備され、古い街並は自然な形で整えられ
 江戸の名残から昭和の思い出まで備えられた楽しい町に生まれ変わっていた。
 近場には白子(鈴鹿市)の観音様(ここも広沢虎造の浪曲、荒神山に出てきます)もあり、
 境内には国の天然記念物である「不断桜」が一年中、ポツリポツリと咲いている。
 菰野の五百羅漢と合せて1日のんびりと骨休めするには、もってこいのコースです。

 

07 三重
その6  京都の桜の名所を訪ねて

 今回の撮影は、雨が降らばければ本隊はロケーション、僕は夜の8時開始のセットである。
 夜までの時間がもったいない。それではと、曇天の太秦を出発して、鳴滝から高雄へ。
 木々の芽吹が美しい。特に高雄のもみじの若葉は目にやさしい。
 そんな中、北山杉の間の曲がりくねった周山街道(162号線)の一本道を前の車に続いてノロノロと走る。
 京北町に入ると常照皇寺への標識を頼りに、さらに9km。京北町は広い。此処まで来ると車もどこかへ・・・。
 藁葺き屋根の民家が点在する。どんどん進んで、通り過ぎたのではと不安になる頃、常照皇寺に到着。
 山門前のしだれ桜は満開だが、横の駐車場には車が一台だけ。此処まで来ると京都も奥の奥。
 平日とは云え人影はまばらで、この佇まいは別世界か?不思議な気がする位、静寂に包まれている。
 早速、木々に囲まれ、苔むした細い道の石段を鳥の声に引かれて方丈へ。
 入山受付で喜捨(拝観料でなく)をして庭に回る。広い濡れ縁の下でボタンが満開なのにビックリ。
 そのすぐ目の前に御車返しの桜。古木の幹は切り落とされ、ほとんど丸裸。
 わずかに残った細い枝に「生きているぞ」と、若葉が繁っている。
 花が終わったのは残念だがこれは素晴らしい老木だ。
 根本から幹にかけて張り付いた苔の上には、やかえで等、他の樹木まで着生している。
 その奥には九重桜が堂々と繁りさすが国指定天然記念物の貫禄十分、他を圧倒している。葉桜もまた良し。
 カメラに修めてからゆっくりと一回りして室内に戻る。
 常照皇寺とは通称で「大雄名山万寿常照禅寺」。以前は常照寺と略称されていた事を知る。
 古寺を堪能して下山。門前の茶店でいっぷく。おいしい草餅を食べていると、
 10分ほど行った所の100年桜(八重桜)が満開だというので行ってみることにする。
 道路脇の神社の入口に濃紅な八重桜が満開。カメラを向けると電池切れ。
 初めてデジカメを持ったのだがすぐに電池切れになる。昨日ホテルでたっぷり充電したのに残念。
 これじゃあ便利なのか、扱いが悪いのか、役に立たない。昼時だし帰る事にする。
 向かいの売店で大原、貴船を回って帰る道を聞いてみる。
 お年寄りが丁寧に教えてくれた後に、「帰ってからお仕事があるのやったら、
 戻らはったほうが良いのと違いますか、先は道巾は細いし、勧められしません」
 とおっしゃる。僕の事を知ってくれているのか、余計な事は言わず、細かい気遣いをして
 下さる古老の意見に従い戻ることにする。
 のどかな山里で温かい人の心に触れて、日頃溜まったストレスも吹飛び、
 晴々としたおだやかな気持ちで帰途に着く。
 良い仕事が出来そう。(時間のある方にはぜひお勧めの名勝です。)

 

06 京都
その5  南信州の桜の名所

 京都入りする道すがら、中央道を通って権現桜と南信の桜めぐりを、と考え早朝に家を出る。
 伊那北インターを降りて箕輪町中曽根へ。案内板があると聞いて安心して走っていたら、なかなか見当たらない。
 1本早く曲がってしまったらしく、ぐるっとひと回り。山の斜面の人家の側に1本の桜の大木。
 根元に小さな祠があり、権現様が祀られている。
 思ったよりは小さめだが形の良い堂々たるエドヒガン。美しく満開である。
 花は小ぶりだが薄紅色でビッシリとついている。樹勢がいいのだろう。
 すでにカメラを構えた人が十数人。朝8時、晴天に恵まれ盛んにシャッターを切っている。
 では僕も・・・。このエドヒガン、県指定の天然記念物で樹齢700年以上、1000年とも言われ、
 樹高15m、幹の周り8.2m。よく見ると根元から中央部は穴洞になっている。
 ここで朝食。次の目的地へ。
 途中の松川町や高森町にも桜の古木があるがこれは次回のお楽しみにしておいて、高速に入る。
 飯田インターで降りる。飯田市内には桜の銘木が20本ほどあるが、これは後回しにして清内路村へ。
 昼神温泉を通り越して山道をドンドン登る。
 観光バスが立ちよる「お土産や」を過ぎると、聞く人もいない山路。「まいったなぁ」と思っていると集落に入る。
 小学校そばの黒船桜、諏訪神社横の説教所の大桜と美しい枝垂桜を見て、清南寺の夫婦桜へ。
 細い道を入って清南寺に着くと本道の前に古木が3本。古い2本が夫婦桜だ。
 エドヒガンというが細く垂れた枝ぶりに枝垂れ桜の古木を思わせるが
 花はピンクのエドヒガンそのもの。
 趣のある古木は、良く手入れされていて梅の古木を思わせる。
 200数十年という樹齢よりもさらに年輪を感じさせる銘木だ。
 カメラに収めて阿智村の駒つなぎの桜への道を聞いて出発。
 林道が通れるというので入るが、これが失敗だったのか行けども行けども山の中。
 聞く人とて無く、山菜採りの人でもいないかと目を凝らすが、物音ひとつ無い。
 一山越え、下りきる頃やっと人家が・・・。聞くと駒つなぎの桜は、もうひと登りするという。
 なんとか辿り着くと車両制限の通行止め。(山越えをせず戻ればすぐだった。)
 清内路村まで行く人は少ないが園原インターから近いこの桜には見物客が多く、
 桜までは近くの駐車場から送迎バスが出ているという。
 お土産屋のある広い駐車場に行くと車がいっぱい。早速バスに乗り込む。
 月見堂までは10分ほど。やれ嬉や、ここの境内かと思ったらさらに小道を歩いて昇る事20分。
 4月なのに真夏日。
 汗だくでハアハア言いながらゾロゾロ、くたくたでやっと着いたら人・人・人・・・ぐるりと三脚が並んでいる。
 それでは僕もとシャッターを押すがデジカメは電池切れ・・。ドジも重なって疲れは3倍。
 花時は車が入れず人でも多いのでもう沢山だが、
 土手に咲く桜は風格のある形の良い、樹齢800年のエドヒガン駒つなぎの桜
 このきならば花の無い時期でも充分観賞できる。
 シーズンオフにゆっくり車で来ようと、もと来た道をバスの乗り場へ。
 途中に出店があり手作りのトマトジュースを売っていたので一息。
 このトマトジュースのうまいこと!
 時計を見ると昼をとっくに過ぎている。バス停前の茶店で遅い昼食。
 飯田に戻ると京都の近くでラッシュに合いそうなので又の機会と諦めて、
 近くの月川温泉で立ち寄り湯をして京都のホテルに入ることにする。
 それぞれの桜はすばらしいものだったが、国指定・天然記念物の桜から見始めた。

 

05 南信州
その4  菊鹿町・白水村・その2

 さて、それでは真打のアイラトビカズラの話は後にして、
 熊本県は阿蘇・白水村の「一心行の桜」を見に出掛けることにしました。
 阿蘇の大平原を走る道路は桜見物の車で大渋滞。
 着いた所は大平原の斜面あたり一面黄色い菜の花の群落。そんな中に1本の桜の大木。
 阿蘇の山脈を背に樹齢400年といわれる樹高22mの見事なヤマザクラ。
 球状に咲いたピンクの花は菜の花の中で一際引き立って見えます。
 九州には桜の古木がほとんどなく(近年、鹿児島県内の国有林で巨木発見の話を聞いたが
 国有林の奥で観た人がなく情報は少ない) 一心行の桜に集まる人の数はすごい。
 この日は満開。原っぱ(広っぱ)には沢山のテントが張られ売店はどこへ行っても行列が
 出来るありさま。人が多すぎて観賞気分をそがれ昼食をすませて早々に相良観音へ。
 (桜そのものは全国の銘木・巨木に引けをとらない見事なもので好みにも寄るだろうが
 20位以内にすべりこむと思う。)
 菊鹿町。まずは750年の歴史を持つ観音様にお参りして石段横に繋がるアイラトビカズラへ。
 ちょっと早かったが、木蓮を思わせる蕾はまだ硬そう。
 子どもの拳ほどの暗紫色の房が下がっている。
 本家は1キロほど離れたところに公園があり巨大な棚に樹齢1000年、大人の腕よりも太い
 蔦が所狭しとからみつき、1m以上も下がった房には何十個もの蕾がビッシリ。
 こちらは大人の拳ほど。残念ながら開花を見ることが出来なかったが国内ではここ菊鹿町
 だけに自生するアイラトビカズラに出会ったことに大満足。国指定の天然記念物だけに、
 資料も多く写真も見ることができるのでぜひインターネットで検索してみてください。
 実物も一見の価値ありですぞ。
 ではまた。

 

04 菊鹿町
その3  都内の桜の名所、あちこち

 都内の桜を早駆けで。
 早朝より出掛けて府中の桜並木、深大寺、小金井公園、井の頭公園と走る。
 何処へ行っても、人・人・人・・・車も渋滞。特に井の頭公園では桜の下の宴を池越しに
 遠景で見るとその一画だけ砂埃が舞い、まるで中国の黄砂に出会ったようだ。
 風が強いのでまだ三分~五分咲きなのにもう散り始めている。
 混雑を避けて新宿御苑と上野公園は敬遠。千鳥淵と靖国神社と回る。
 今年の染井吉野は暖冬の為か全体に色が薄くボヤケたかん時で物足りない。
 満開になるまで待つか。

 

03 都内
その2  熊本県・菊鹿町・白水村・その1

 日本でここだけに生えている蔦。
 熊本県の北部に山鹿灯篭(籠)で有名な山鹿市があります。古い出湯の町で、豊後街道が通り、
 珍しい装飾古墳などもある歴史の街でもあります。
 そしてもうひとつ有名なのは明治44年1月にこけら落し(初公演)された国の指定重要文化財で、
 昔の芝居小屋の形態をそのまま残した八千代座です。
 僕が最初に訪れたのは昭和30年代の後半(東京オリンオピックの年だったかなぁ)
 新国劇時代のことです。その後、熊本までは公演などで何度も来るのですが、山鹿は素通り・・・。
 もう一度行ってみたいと思っていたところ3年ほど前、中国は上海・抗州での講演があり、帰りは福岡空港。
 それではと、山鹿に移り住んだ友人を訪れるのを口実に、空き日を作り、福岡から山鹿へ直行。時は4月半ば。
 本当の目的は菊鹿町の「アイラトビカズラ」と白水村の「一心行の桜」見物が同時に出来るかも知れない、又とないチャンス。
 まずは、八千代座へ。周りの雰囲気は昔のまま(かな)。
 40年前は古ぼけた建物だった八千代座は、しっかり手入れされている。
 向うには資料館(有料)が出来て入場者の希望があれば休演中に限り座内の見学が出来る。
 運良く休演中だったので見せてもらう事にする。
 当時のまま(と思われる)内部は、全部桟敷、二階も畳敷(少し斜め)壁や天井には商店などの看板、
 他ではなかなか見ることのできない佇まい。
 芝居小屋としては四国香川の金丸座と並んで最大級ではなかろうか。
 資料館も面白いものがたくさんあったが時間に追われて待ち合わせ場所の足湯(屋外で無料)まで歩く。
 友人と出合ってアイラトビカズラと一心行の桜見物だが、あんまり話が弾んで明日にする。
 そんなわけで、次回に。ではまた。

 

02 熊本
その1  町田市・薬師ケ丘公園

 僕の住んでいる多摩市に隣接した町田市に薬師ヶ池公園という所があります。
 小高い所に薬師堂があり、あまり大きくはないけど手入れの行き届いた里山を思わせる
 様な公園で町田市の古い民家を移築して保存したり花菖蒲の銘品が集められたり、
 また蓮池は知るひとぞしるハスの名所。
 8月のシーズンには、明け方になるとカメラを持った人で賑わいます。
 その他、四季を通じて万葉草花園や茶店もあり、近郊から訪れる人々の憩いの場となっています。
 その薬師ヶ池公園が家から車で10分ほどで行けるのでカミさんと「ちょっと梅でも観にいくか」と出掛けてみました。
 温かい陽気に誘われてか昼前だというのに駐車場は満杯状態。
 なんとか隅っこにもぐり込んでと云うか、空いている所を見付けて入園。
 梅の香でむせかえる中、池の辺りに植えられた、まだ小さな熱海寒梅や河津桜も満開。
 思わぬ収穫にカミさんも大喜びだ。
 それに、大人の親指ほどのコブシの蕾がうぶ毛いっぱいのカラを割り、真っ白い顔をのぞかせている。
 根元にはタンポポの花も咲いて、春本番を思わせる勢い。
 あとはソメイヨシノが咲くのを待つばかり。そんな中、売店で昼食にハスの実を練り込んだソバをたぐって大満足。
 春爛漫の散歩でした。
 皆さんの春の便りも聞きたいな。

 

01 町田
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