書簡 その162 会津若松の思い出津々浦々で会津若松の話をしたら、以前「会津士塊」や「山本覚馬」など会津藩に纏わる芝居で訪れたことを思い出した。 山本覚馬の父親役で行ったときには、大変なもてなし。 当時、飯盛山を守る名物おばあさんがいたのだが、この人、スターさんをさておき、覚馬の親父の僕を大歓迎してくれた。...
書簡 その161 応援テレビを観ていたら、雑学の番組で 応援のフレーフレーというのは 英語のバンザイや歓呼して迎えるを意味する hurray から変化したものだと先生が言った。 僕が子供の頃に教わったのは、奮い立つの奮え!からフレー・フレーだと教えられた。...
書簡 その160 でべら瀬戸内名物で、小さなカレエをカラカラに干した物で、 槌で骨を砕いてから焼いて食べると独特の風味で、 スルメの様に噛めば噛むほど旨味が増してくる、たまらない一品。 僕が新国劇で辰巳先生の書生をしていた時だから40数年前に尾道で食べて以来の好物だが、...
書簡 その159 寒の入り今日から節分までの間が、寒の内(寒中)。最も寒いといわれる大寒は15日後。今年の寒さはどうなってるんですかねぇ。 暖冬が続いて、地球温暖化などと言われ、暖かい冬に馴れた身には染みわたる冷気です。(年のせいかも) それでも子供の頃、校庭の水溜りが凍って、そこでスケート遊びをし...