■書簡 その47 鎌倉を歩く
- 森章二
- 2019年9月16日
- 読了時間: 2分
演出家の藤瀬俊夫氏と、藤沢の駅で会う。 打ち合わせも終わって鎌倉でも歩いてみるか!という事になり、江ノ電で鎌倉に出る。 まずは本覚寺の夷堂に参詣。縁起物の「にぎり福」を購入。裏道を歩いて鶴岡八幡宮に詣でる。 花の終わった蓮池に人だかり、行って見ると池の鯉にエサをやっている。ハトも群がっている。 鯉のエサにつられてやってきた亀は、全部がクサガメ。ミドリガメは一匹もいない。流石、八幡宮だと変なところに感心して退散。 腰越漁港でシラスの釜揚げを買って帰途に着く。 鎌倉の街を歩いていて喫茶店の多いのに驚いた。東京ではチョット話をするにしても喫茶店がなくて困るというのに。 そんな一軒に入ると観光客のカップルが多い。オッサン二人が観光地で珈琲とは色気がない話だが、ふと思った。 喫茶店の元祖は今から350年程前に神社や寺の境内、盛り場などでダンゴを出して渋茶を飲ませる茶店水茶屋(腰掛茶屋)なるものである。 それから100年ほどたち、明和三美人とか水茶屋三美人と謳われた谷中の笠森稲荷の「お仙」。 浅草蔦屋の「お芳」、同じく柳屋の「お藤」という十代の三人娘が客を集めた。 この娘達は、いわばアイドルで店は一昔前の美人喫茶といったところか。この頃のお茶代は5文。 現代のお金に換算して単純計算で100円以下(90円くらいか)。物価が違うので比較はしにくいが、この値段が高いか安いか、 現代の珈琲が500円として、これも高いか安いか。それにこの娘達のブロマイドというか写真集というか、 錦絵は飛ぶように売れたという。なかでも笠森おせんの錦絵は数多く出版されている。 その30年後の寛政年間には喜多川歌麿が、富本豊ひな、難波屋お北、高島ひさ の寛政三美人の錦絵を出版している。 喫茶店→色気から連想して、随分話が飛んでしまった。
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