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書簡 その213 栗ぜんざい

母が浅草に買い物に行きたいというので、ひさしりに浅草に行く。仲見世を歩いていると、突然「梅園に行こう」と言い出した。

え~梅園とは、僕の子どもの頃は、浅草に行っといえば「梅園に行った?」と聞かれる程、甘党にとっては、名店中の名店。

しかし、僕は子どもの頃は甘いものが大の苦手だったので、一回か二回しか行ってないと思う。

まぁ近年は甘いものも食べられるようになったので、50数年ぶりで懐かしさも手伝って、ついていく。

いや~老舗の力ってすごいもんですね~。近所のお店は何処もガラガラなのに梅園の広い店内はお客でいっぱい。

注文は、母とカミさんが田舎汁粉。僕は名物の栗ぜんざい。

この店の栗ぜんざいは、汁気がない。こしあんの塊と、半殺し(つぶつぶの状態)の粟餅がお椀の中に入っているというシロモノ。

それに盃より小さな器にシソの実入りの佃煮がついてくる。甘かった~!

ちょっともてあましましたが、食べ物を残せない悲しい世代。完食したが・・・。

田舎汁粉の二人はというとカミさんは甘さにビックリ。母も「こんなに甘かったかしら」と言いながら懐かしそうに食べていた。

場所は、雷門から浅草寺を正面に見て左側の仲見世の裏通りを浅草寺に向って歩いていくと左側に大きな「梅園」の看板が目に入ってきます。

浅草名物、舟和の「いも羊羹」と梅園の「栗ぜんざい」・・・話の種にぜひどうぞ。

左党の方には、神宮バーのデンキブランを・・・。

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