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書簡 その202 思い出

新聞のコラムで宮尾登美子さんの高知では「ヤマモモの実を珍重する。

梅雨空になるとヤマモモ売りが来るのを心待ちにする」という記事を読んで、子どもの頃食べた、あの、あまずっぱい味を思い出した。

何処で採ったんだろう。

遊び場だった山王さんの境内か、虎ノ門の大倉集古館の庭か、それとも霊南坂を上がったお寺の裏だったのか。

そう思うと東京でもいろんな木の実を採って食べたものだ。

季節ごとにグミ、クワ、ビワ、イチジク、ヤマモモそれにすっぱいユスラウメ。広場や空き地で自由に採ることができた。

そうだ昭和20年代の赤坂はお屋敷跡の空き地がたくさんあって、そこにもぐりこんでは木の実を採ったんだ。

クワの実を食べて口のまわりをまっくろにして。

そうまっくろといえば小さな黒い(紫)さくらんぼの実も食べた。

これも手や口のまわりが、まっくろになり、一緒に食べたワルガキどもが顔を見合わせて笑いあったものだ。

東京にも古里があったんだ。物の少なかった時代、それでも何かを利用して明るく楽しく暮した時代があったんだ。

そんな東京の暮しを伝えたい。

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